押し入れに入れた除湿剤が、いつの間にか水でいっぱいになっている。なぜ、あの小さな白い粒・黒い粒は、空気から水を引き寄せることができるのか。徳島大学の堀河俊英准教授は、20年以上この問いを追い続けてきた。そして今、彼の答えは、砂漠に水をもたらし、地球温暖化を食い止める技術の土台となりつつある。

Chapter 01   基礎

知っているようで知らなかった 「吸着」とは何か

「吸着(きゅうちゃく)」という言葉は日常にはあまり登場しないが、その現象はいたるところにある。活性炭入りの浄水器フィルター、冷蔵庫の脱臭剤、マスクの有害ガス除去層、半導体工場の排気処理設備——いずれも吸着を利用している。

身近な例えで理解する
炭素は「超極小のスポンジ」である

活性炭を電子顕微鏡で見ると、ゴルフボールほどの大きさの粒の表面に、ナノメートル(1ミリの100万分の1)スケールの無数の穴が開いている。その穴の合計面積は、わずか1グラムの活性炭でテニスコート1面分(500〜1000㎡)にも達する。気体や液体の分子はこの穴に引き込まれ、壁に貼り付く——これが吸着だ。「吸収」が分子を内部に溶け込ませるのに対し、「吸着」は表面に貼り付けるイメージだと覚えておくとよい。

吸着の研究は実に200年以上の歴史を持つ。しかし長年、専門家たちを悩ませてきた謎があった。それが「水分子はどうやって炭素に吸着するのか」という問いだ。

普通の気体(窒素や酸素など)は比較的シンプルに炭素表面に均一に貼り付いていく。ところが水は違う。水分子は強い「親水性」を持ち、同士で引き合う力(水素結合)が非常に強い。そのため炭素表面に均一には広がらず、特定の場所に集まってクラスター(塊)を形成し、それが雪だるま式に成長して細孔を埋めていく——という独特の挙動をとる。この複雑さが、長らく精密なモデル化を困難にしていた。

Chapter 02   発見

世界が使う理論を、徳島で生んだ 「Horikawa–Doモデル」の誕生

堀河氏が研究を始めた2000年代初頭、吸着分野には「Do–Doモデル」と呼ばれる水吸着の理論式が存在した。しかしこれはメソ細孔(2〜50ナノメートルの孔)での挙動をうまく説明できなかった。

堀河氏はオーストラリア・クイーンズランド大学のDuong D. Do(ドゥオン・ディ・ドゥ)教授との国際共同研究でこの問題に正面から取り組んだ。自ら「レゾルシノール–ホルムアルデヒドカーボンクライオゲル」と呼ばれる精密設計の多孔質炭素材料を合成し、細孔の大きさや表面の化学構造を精密にコントロールした試料を複数作製。それらへの水蒸気吸着を極めて高精度に測定し、データを積み上げた。

発見のポイント

ミクロ細孔(2ナノメートル以下)とメソ細孔(2〜50ナノメートル)では、水の吸着挙動がまったく異なる。ミクロ細孔では水クラスターが小さく、低圧から吸着が進む。メソ細孔では水クラスターが大きく成長し、より高い圧力で一気に細孔を満たす。この違いを一つの数式で表現したのが2011年にCarbon誌に発表した「Horikawa–Doモデル(HDモデル)」である。

このモデルの何が画期的だったか。それは「水がなぜ炭素細孔に入るのか」の分子レベルのメカニズムを、測定可能な物理量と結びつけた点にある。これにより、吸着材料を設計する研究者が「どんな細孔構造・表面官能基にすれば望み通りの水吸着特性が得られるか」を計算できるようになった。現在、世界中の研究者がこのモデルを引用・応用している。

吸着という現象の基礎研究は200年以上の歴史があります。私がやったことは、1950年前後にある程度確立された研究成果を、現代の精度で一歩前に進めたこと。でも「一歩」が、そこからの応用の世界を大きく広げました。

— 堀河 俊英
Chapter 03   材料

「水を吸う力」を3倍に 窒素ドープ炭素という革新

炭素材料への水吸着を支配するのは「表面官能基」と呼ばれる化学的な引っかかりだ。炭素のグラフェン平面は本来疎水性(水を弾く性質)だが、端の部分に酸素や窒素を含む官能基がつくと、そこが水分子の最初の「足がかり」になる。

堀河氏は2012年、炭素材料に窒素原子を意図的にドープ(添加)することで水蒸気吸着能を最大3倍まで高められることを実証した(Carbon誌掲載、被引用数279件: Google schoolar, May, 2026 参照)。アンモニアガスを流しながら高温で炭素化するという独自プロセスにより、グラフェン層の端に窒素原子を組み込む。XPS(X線光電子分光)分析により、組み込まれた窒素がピリジン型・ピロール型・4級窒素という異なる形で存在し、それぞれが異なる水吸着への寄与を持つことを明らかにした。

窒素ドープによる
水蒸気吸着能の向上
~8%
炭素中に取り込まれた
窒素の重量割合
15%
ドープ窒素のうち
実際に活性サイトになる割合

この知見は「吸着式ヒートポンプ」の実現に直結する。吸着式ヒートポンプとは、コンプレッサーの代わりに吸着材が水蒸気を吸ったり放したりする繰り返しで冷暖房を行う装置だ。電力消費が少なく廃熱を利用できるため、省エネ・CO₂削減の切り札として注目されている。堀河氏の窒素ドープ炭素はその心臓部となりうる素材だ。

Chapter 04   応用

研究室から現実世界へ 砂漠の水・汚染水・放射能まで

基礎研究の積み重ねは、驚くほど広い応用領域を生んでいる。

大気からの水収集:地球上には、安全な水の供給が困難な乾燥地域が数多く存在する。大気中の水蒸気を低エネルギーで効率的に吸着・回収できる材料があれば、電力インフラなしに「空気から水を作る」ことが可能になる。堀河氏が進める水蒸気吸着の機構解明と材料設計は、その物質的基盤の構築に貢献する。

CO₂回収・温室効果ガス削減:2026年からスタートした最新の科研費プロジェクト「水分子クラスタによる温室効果ガス吸着促進機構の解明と次世代材料設計」では、水蒸気吸着の知見を温室効果ガスの分離回収に応用しようとしている。CO₂を大気中や排ガスから効率的に分離するための次世代吸着材料の設計指針を提供することが目標だ。

原発事故後の放射性物質除去:2011年の東日本大震災・福島第一原発事故を受け、堀河氏はセシウムイオンを選択的に吸着するプルシアンブルー(紺青)を球状磁性粒子に固定化した「磁力分離型吸着剤」を開発した。吸着後に磁石で簡単に回収できるこの材料は、汚染水処理の省力化に貢献しうる。

重金属汚染水の浄化

産業排水に含まれる鉛・ニッケル・亜鉛などの重金属も、活性炭で除去できる。堀河氏の研究は、炭素表面のグラファイト化度(グラフェン面の整合性)が鉛イオンの吸着能と相関することを明らかにし、どんな炭素材料を使えば重金属をより効率よく除去できるかを予測する手がかりを与えた。途上国の工業排水問題にも直結する知見だ。さらに現在は、コンピュータシミュレーションを用いて、分子レベルでの吸着メカニズムの解明に取り組んでいる。

Chapter 05   スケール

「世界が使う理論」を作るということ 4700件の引用が示す影響力

科学の世界で「影響力」を測る一つの指標が「被引用数」——自分の論文が他の研究者に引用された回数だ。これは「その研究が、後続の研究の土台として使われた回数」を意味する。

堀河氏の研究論文は2026年現在、累計約4700回引用されている。特に「活性炭の合成」(567件)、「キャピラリー凝縮のレビュー」(555件)、「炭素上の水吸着レビュー」(378件)は国際的な吸着科学の標準的参照文献となっている。h-index(被引用数h件以上の論文がh本ある)は31を記録しており、これは吸着・多孔質材料の分野で世界的に見ても高水準だ(Google schoolar, May, 2026 参照)。

さらに注目すべきは、2021年以降の5年間だけで1957件が新たに引用されていること。すなわち研究の影響力が年々高まっているという事実だ。これは2020年代に入り、カーボンニュートラルや水問題への社会的関心の高まりとともに、吸着技術への需要が急増していることを反映している。

Chapter 06   ビジョン

基礎から未来へ 吸着科学が描くサステナブルな世界

吸着技術の産業応用は、すでに始まっている。ガスマスクのフィルター、半導体工場の超純水製造、食品の脱臭・脱色、天然ガスの精製——あらゆる産業が吸着を使っている。しかし堀河氏が目を向けているのは、その次の段階だ。

吸着式ヒートポンプの普及:太陽熱や工場廃熱を使って建物を冷暖房するシステム。電力消費を大幅に削減できる。鍵となるのは「適切な温度帯で水を大量に吸着・脱着できる材料」だ。

直接空気回収(DAC):大気中のCO₂を直接吸着して地中に貯留または再利用する技術。エネルギー効率の高い吸着材料の開発が普及のボトルネックになっている。

大気水収穫:砂漠や乾燥地の気温が下がる夜間に水蒸気を吸着し、日中に熱で脱着して水を回収する装置。太陽光だけで動く完全オフグリッドの水源として、水不足地域での実用化が研究されている。

均一な炭素表面への吸着挙動を詳しく調べることで、吸着過程で何が起こっているのかを明らかにしました。基礎研究の積み重ねが、様々な吸着現象の本質に迫ることを可能にする。それがサステナブル社会の実現につながると信じています。

— 堀河 俊英

炭素は生命の元素であり、地球の歴史そのものと言っても過言ではない。それが今、「炭素が地球を救う素材」として注目される時代になった。徳島の研究室から生まれた理論が、乾燥する地球に水をもたらし、温暖化する大気を冷やすための設計図の一部となる——そんな未来が、すでに動き始めている。

Researcher Profile
堀河 俊英
Toshihide Horikawa  |  徳島大学 大学院社会産業理工学研究部 准教授
4,735
総被引用数
h=31
h-index
92+
査読論文数
35
受賞件数

関西大学大学院にて博士(工学)取得後、2004年より徳島大学に着任。2010年にはJSPS優秀若手研究者海外派遣事業によりオーストラリア・クイーンズランド大学に1年間滞在し、国際的な研究ネットワークを確立。2018年 日本吸着学会奨励賞、2022年 炭素材料学会論文賞ほか受賞多数。日本吸着学会評議員。2026年より、温室効果ガス吸着促進機構の解明と次世代材料設計をテーマとした新プロジェクトを始動。(Google schoolar, May, 2026 参照)