高圧の発生と物性研究への応用 |
(1)なぜ高圧か?(高圧印加の有用性) |
(2)高圧を発生する装置 |
(3)ダイヤモンドアンビルセル(DAC)を用いた赤外分光 |
(4)ルビー蛍光法による圧力測定、ルビー蛍光発生の原理 |
(5)高圧赤外分光の研究例(YbSにおける半導体金属転移) |
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(1)なぜ高圧か?(高圧印加の有用性) |
物質に圧力や磁場などの外場を加える手法は、その物質の電子状態をコントロールしたり、これまでにない新しい物性を探索する上で大変有用な方法です。圧力印加では例えば常圧では超伝導を示さないFeのような物質が超伝導になることが知られています。高圧研究のごく初期に活躍したBridgmanは高圧科学、技術の発展に関してノーベル物理学賞を受賞しました(1946年)。また磁場印加についても磁場の下での量子ホール効果の発見に対して2度のノーベル物理学賞が授与されています。 |
このうち圧力印加の利点は何と言っても、結晶における原子間隔を直接的に縮められることであり、これにより原子間隔やイオン半径に強く依存する物質パラメーター、例えば電子の混成やバンド幅(運動エネルギー)などを効率よくコントロールできると考えられます。一方原子間隔を変えるには、物質中のある元素を別の、異なるイオン半径を持つ元素で置換した試料を作成する方法も知られており、これは「化学的圧力」ともよばれます。後者の方法は物質開発の点から重要ですが、異なる元素がランダムに置換することによる結晶ポテンシャルの周期性の乱れ、局所的なひずみなどのため、物性の起源を調べる上で障害となる場合もあります。一方物理的圧力の方法ではそのような乱れを引き起こすことなく、同一の物質試料で連続かつクリーンに原子間隔を変えられます。以上をまとめたのが下の図です。 |
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では高圧の意義はわかったとして、なぜ高圧下で赤外分光を行うのでしょうか。それは物質の電子状態を圧力でクリーンかつ連続的に制御しながら、赤外分光でフェルミ準位近傍の電子状態変化を追跡することができれば、非常に強力な実験手段となるからです。しかも物質の電子状態を調べられる他の有力手法である光電子分光)、トンネル分光は、高圧発生セル(以下参照)に封入した試料に対する測定が技術的に不可能です。つまり高圧下で物質のフェルミ準位近傍の電子状態をエネルギー分解で調べられる手法は赤外分光だけであり、このため高圧赤外分光の重要性は高いと言えます。 |
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(2)高圧を発生する装置 |
物質に高圧力を加える際、なるべく等方的かつ空間的に均一な「静水圧」を発生させるにはどうすればよいか。この高圧力発生の分野で先駆的な研究を行ったのはアメリカのブリッジマン(Bridgman)であり、その功績に対して彼は1946年のノーベル物理学賞を授与され、また彼の名前は現在もブリッジマン・アンビルという高圧発生装置に残っています。 |
現在物性研究で使われている圧力発生装置は、大きく分けて以下の4つのタイプがあります。(1 GPaはほぼ1万気圧) |
<ピストン・シリンダー型のセル>:金属製のピストンとシリンダーに試料と圧力伝達液体を挟んで押す。発生できる圧力は一般的に最高で2 GPa程度で試料空間は相対的に広い。インデンターセルとよばれるタイプでは5
GPa程度まで可能。 |
<ダイヤモンド・アンビル・セル(DAC)>:2つのダイヤモンド(アンビル)で試料を挟んで押す。微小試料であれば200 GPa以上という、地球中心部に匹敵する高圧力が発生できるが、静水圧性は相対的によくなく試料空間は非常に小さい。ダイヤモンドが光学的に透明であるため、各種の光学測定(反射、透過、ラマン散乱など)が可能であり、またX線を用いた回折、分光実験も重要な応用です。 |
<ブリッジマン・アンビル・セル>:上で述べたように、高圧科学・技術のパイオニアであるブリッジマンの名前が付いた圧力セルです。圧力発生の原理はDACに似ていますが、ダイヤモンド以外の様々な硬い材料がアンビルとして使われます。試料空間がDACよりも広く取れる利点があり、広く使われています。 |
<キュービック・アンビル・セル>:6つの金属(アンビル)で試料を3方向から挟んで押します。最高圧は10 GPa程度で試料空間が広く、かつ最も等方的な圧力を発生することができますが、装置は非常に大がかりなものになります。例えば物性研究所・上床研究室のこのページをを参照して下さい。 |
以下ではダイヤモンドアンビルセルを用いた赤外分光技術について説明します。 |
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(3)ダイヤモンドアンビルセル(DAC)を用いた赤外分光 |
DACを用いた高圧発生の原理は下図に示すとおりです。先端が平らになった一対のダイヤモンド(アンビルとよばれる)で、穴を開けた金属板(ガスケット)を挟むのですが、この穴の中に試料と、圧力を測定するためのルビー片、そして圧力を伝達する媒体(液体や粉末。ただし液体でも加圧すれば固化する)を一緒に封入して力を加えます。 |
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上図は赤外分光の場合の模式図ですが、レーザー光源によるラマン散乱や、放射光X線による構造解析、分光でも高圧発生の原理は同じです。私たちの赤外分光の場合、試料の反射率を決定する必要があるため、上図のように試料とルビーだけではなく反射標準の金フィルムも仕込みます。そして金の反射光も測り、前者を後者で割り算します。(金フィルムの赤外領域での反射率は非常に高くてほぼ1と見なせるため、この方法で試料の反射率を決められます) |
実際にはダイヤは下図のようにピストンとシリンダーに取り付けられた台座の上に乗っており、2個のダイヤの先端面(キュレット面とよばれます)が互いに厳密に平行になるように調整します。(これは2つのキュレット面を近接させた際に生じるニュートンリングを顕微鏡で観察しながら調整します。) ちゃんと平行になっていないと、加圧した際にガスケット穴が一方向へ直ぐに広がったり、ダイヤが割れたりする場合もあります。 |
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写真のDACは私たちが用いているもので、イギリスのメーカーから購入しました。(同じものが2セット写っています) 材質は銅ベリリウム合金で、ステンレス並みに硬く銅並みに熱伝導が良い特徴があります。高圧のプロの中にはDACを自ら設計製作する人もいます。 |
私たちが使っているダイヤモンドはキュレット径が0.4, 0.6, 0.8 mmの3通りで、それぞれ最高およそ40, 20, 10 GPaの圧力が発生できます。使える試料径はそれぞれ0.1,
0.15, 0.25 mm程度です。(厚みは20-50 μm程度) すべてが小さいので、試料の準備、取り付け、封入などはすべて顕微鏡で観察しながら行います。 |
ここでダイヤモンドを用いる理由は、もちろん世の中で最も硬い物質だからです。しかし赤外分光の場合、ダイヤは硬いだけではダメで、赤外線に対してなるべく透明である必要があります。実はダイヤにも不純物が色々入っており、その量と種類によって、Type
Ia, Ib, IIa, IIbというタイプに分類されます。このうち高圧実験で良く用いるのはType Ia, Type IIaの2種類です。天然に産出するダイヤモンドのうち約98
%はType Iaであり、0.1 %程度のN(窒素)不純物を含み、黄色く着色している場合が多いです。一方Type IIaでは1 ppm (0.001
%)程度のN不純物しか含みません。これら2つのタイプのダイヤモンドに対する赤外線の透過スペクトルを以下に示します。 |
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上図を見ると、Type Iaダイヤでは強い吸収が1100 - 1300 cm-1にあります。これはN不純物による吸収です。ダイヤモンドの成分はCですが、周期表でNはCの右隣です。このためダイヤに入ったNはSi中に入ったPと同じようにドナーの役割を果たし、余分な電子を導入します。このドナー準位の電子がこの領域の赤外線を吸収してしまいます。また一般にType
Iaのダイヤは黄色い色をしていますが、この黄色もN不純物が原因です。なお1900-3500 cm-1にかけての吸収は2フォノン吸収によるもので、これは不純物の量に依りません。またType Ia, IIaとも機械的な強度、硬さには差がありません。(黄色いダイヤは宝石としての価値はゼロですが、機械的強度は遜色ないのでDACで高圧発生はできます。しかし赤外には向なかいのです) |
N不純物の吸収が現れる1100-1300 cm-1は光子エネルギーに換算すると0.1から0.2 eVの領域になりますが、この領域は強相関電子物質の赤外分光にとって最も重要な領域の一部です。なぜなら強相関物質でよく観察されるエネルギーギャップなどの多くがこの領域に生じるからです。ですから赤外分光に用いるダイヤはType
IIaが非常に望ましいと言えます。 |
ちなみにダイヤモンド・アンビルの価格は、私たちが購入している業者の場合Type Iaが1個あたりおよそ16万円、Type IIaが24万円です(2011年現在)。既に述べたようにDAC実験ではダイヤが2個1組必要ですから、値段も倍になります。カラットあたりの価格に換算すると、Type
IIaの場合は宝石用ダイヤと余り変わらないほど高価です。なお高圧実験に使える人造ダイヤも市販されていますが、天然物と値段が変わらないどころか、むしろ高価です。 |
なお、そんなに高い圧力が必要ない場合は、ダイヤの代わりにサファイヤや、モイッサナイトとよばれる(ダイヤほどではないが)硬い結晶を使うこともできます。 |
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(4)ルビー蛍光法による圧力測定、およびルビー蛍光発生の原理 |
DACで高圧を発生する場合、試料と一緒に仕込んだ小さなルビー片の蛍光スペクトルを測ることで圧力を知る方法が広く行われています。これをルビー蛍光法とよびます。 |
ルビーとはあの赤い宝石のことであり、酸化アルミニウムAl2O3のAlのうち0.1%程度がCr(クロム)に置き換わったものです。(ただしルビー蛍光法で使うルビーは人造ルビーです。タイヤと違ってルビーの人造物は安い。) Al2O3自身は透明な結晶ですが、Cr3+がAl3+のサイトに置き換わると、Cr3+特有のエネルギー準位による光吸収のため赤く着色し、またレーザーなどで光励起するとR線という強い蛍光を発します。このR線の波長は圧力と共に長波長側へシフトすることが知られており、圧力と波長の関係は詳しく調べられています。そこで逆にR線の波長を測ることで圧力を知ろうというのが、ルビー蛍光法です。ルビー蛍光法が開発されたことによって高圧科学における圧力値の信頼性が一気に高まったと言われています。
圧力下におけるルビー蛍光スペクトルの例を下図に示します。 |
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このスペクトルからわかるようにR線は2本に分裂しており、右側の強いピークがR1線, 左側の弱いピークがR2線と呼ばれます。圧力とR線の波長シフトの関係については、例えばDACによる高圧研究で非常に著名なMao(アメリカ)らが提唱した式などが使われています。(20
GPa以下の圧力では、波長シフトと圧力はほぼ比例します。) 詳しくは産業技術総合研究所のこのページを見てください。
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以上を知れば高圧実験には十分なのですが、私たちの専門は光物性ですからルビー蛍光発生の原理をもう少し詳しく見ましょう。(高圧だけに興味がある場合、ここは飛ばして構いません。)
ルビーでCr3+が占めるAl3+のサイトは、6個のO2-イオンから成る8面体の中心にあります。 (ルビーの結晶構造その1) (ルビーの結晶構造その2) このためCr3+はほぼ立方対称の結晶場(6つのO2-イオンが作るクーロンポテンシャル)に置かれています。Cr3+は3個の不対3d電子を持ち、基底状態の電子配置は下左図のようになります。(孤立Cr3+イオンでは縮退していた5つの3d軌道が結晶場の下では10 Dqだけ分裂し、3重縮退したt2gと2重縮退したegという2つの状態に分かれます。ここでDqは立方対称結晶場の強さを表すパラメーターです。3つの3d電子は3つのt2g軌道に一つずつスピンが平行に入ります。) この状態は4A2という記号で表され、左肩の数字がスピン縮重度2S+1を表します。(今S=1/2×3=3/2ですから、2S+1=4) 次に励起準位と光学遷移は実験、理論の両面から詳しく調べられており、およそ下右図のようになります。(後述する日本の田辺、菅野両先生により、特に先駆的な研究が行われました。) |
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ルビーを光励起すると、基底状態から2つの励起状態4T2, 4T1への強い光吸収(Y帯、U帯とよばれる)がおきます。(これらの光学遷移は、上左図の基底状態でt2gを占める3つのd電子のうち、1つがeg軌道へ励起される過程に対応します。) これら吸収帯はそれぞれ青〜紫の光(400-450 nm)および緑の光(550 nm程度)に対応します。つまりCr3+は光の3原色である赤、緑、青のうち緑と青の光を強く吸収しますから、ルビーに(赤緑青の3原色が同じぐらい混ざった)白色光が入射すると、赤い光だけが透過して出てきます。これがルビーが赤く見える理由です。 (サファイヤが青く見える理由もよく似ています。サファイヤではAl2O3にCrではなくFeやTiが入り、赤と緑の光を吸収します。)
緑と青の光を吸収して励起された電子は、図の黒矢印で示すように無放射遷移で(熱などの形で)エネルギーを失って緩和し、最低励起状態である2Eまで落ちてきます。ここから基底状態4A2へ戻るときに、余分なエネルギーを光として放出したのがR線です。R線は強い発光ですが、2E→4A2の遷移は3つのd電子のうち1つの電子のスピンがひっくり返る過程であるため、その光学遷移の確率(振動子強度)は低く、蛍光寿命はミリ秒程度と非常に長いです。またR線の波長(室温・常圧で約694 nm)は赤色に相当しますが、ルビーが赤く見える理由とは無関係です。(蛍光は励起しないと観測できませんが、ルビーは励起しなくても赤く見えます。)
ここで2E準位は詳しく見ると2つの準位に分裂しています。(上で「ほぼ立方対称の結晶場」と述べましたが、実は6つの酸素イオンからなる8面体はわずかに3回対称軸の方向、例えば(111)方向に沿って歪んで(伸びて)おり、2E準位の分裂はこの歪みに起因します。)これらがR1線、R2線を与えます。またR1, R2線の波長が圧力と共に長波長側へシフトする理由は、2E準位と4A2準位のエネルギー差が圧力と共に減少するためです。(この減少の起源については、下の「Tanabe-Sugano diagramとR線の圧力シフトの起源」を参考にして下さい)
なおR線、U帯、B線(弱いので上図には示していません)、Y帯を並べるとRUBY, ルビーです。このしゃれたネーミングは、下で述べるTanabe-Sugano diagramで有名な、田辺、菅野両先生によるものです。 |
・Tanabe-Sugano diagramとR線の圧力シフトの起源
このダイヤグラムはルビーでのCr3+を始めとする遷移金属イオンのエネルギー準位を、結晶場Dq(図ではΔと表示)に対して表示したグラフです。d3の場合のグラフがCr3+に当たります。縦軸がエネルギー、横軸がDqで、それぞれ電子間の静電相互作用を表すパラメータB(ラカー・パラメーター)で規格化されています。d3のグラフより2E準位と4A2準位のエネルギー差は、わずかながらDq/Bの増加関数になっている事が判ります。加圧するとO2-の8面体が縮むためDqは当然増えますが、Bの増加がDqのそれを上回るためDq/Bは減少し、2E準位と4A2準位のエネルギー差もわずかに減少します。結果としてR線の波長が長波長側へ(フォトン・エネルギーが減少する方向へ)シフトします。
原論文:"On the Absorption Spectra of Complex Ions II" by Y. Tanabe and S. Sugano
J. Phys. Soc. Jpn. 9 (1954) 766-779.
・田辺行人:「ルビーはなぜ赤い?−田辺・菅野ダイヤグラムの頃−」
田辺先生が東大を定年退職された際に書かれた記事。1988年の日本物理学会誌より。(内容は専門的) |
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(5)高圧赤外分光の研究例 |
私たちがこれまでに行ってきた高圧赤外分光による研究から、YbSに関する結果を紹介します。 |
YbSは常圧においては1.2 eVのエネルギーギャップを持つイオン結晶かつ絶縁体です。Ybは2価でf軌道は電子で満たされていて局在磁気モーメントを持ちません。過去の研究より10
GPa以上の圧力ではYbの価数が2より増加してf軌道に正孔が生じることが示されましたが、その基底状態は金属なのか絶縁体なのかすらわかっていませんでした。そこで私たちは高圧赤外分光によりその電子構造を調べました。良質単結晶試料は東北大学の落合先生より提供していただきました。 |
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上図はYbSの反射スペクトルR(w)の圧力変化です。0.3から7.8 GPaにかけては反射率は低く、0.03 eV付近に光学フォノンに起因するピークが1本あるだけですが、8.3
GPaより高圧では0.2 eV以下の反射率が急激に増加します。これはプラズマ反射であり、自由なキャリヤが生じた、つまりYbSの高圧相は金属であることを明快に示しています。より詳しい電子構造を知るため、R(ω)の解析から求めた光学伝導度σ(ω)を下に示します。
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常圧(真空)での1.4 eV付近のピークはエネルギーギャップ越しの光吸収に対応しますが、圧力増加と共にこのピークが低エネルギー側へシフトし、ギャップが圧力と共に減少することがよくわかります。そして8
GPa付近でこのピークは消滅してギャップが閉じ、より高圧では自由なキャリヤをもつ金属になるため低エネルギー側にドルーデ成分が生じます。それと共に0.2
eV付近と0.8 eV付近に顕著なピークが成長しています。低エネルギー側のピークは上の(4)で紹介した、他のYb化合物で観測された赤外吸収ピークによく似ており、YbSの高圧相は(4)で取り上げた他の価数揺動Yb化合物とよく似た電子状態を持っていることを強く示唆しています。
より詳しくは以下の論文を参照してください。
Pressure Tuning of an Ionic Insulator into a Heavy Electron Metal: An Infrared
Study of YbS
M. Matsunami, H. Okamura, A. Ochiai, and T. Nanba
Phys. Rev. Lett. 103 (2009) 237202.
「高圧下の赤外分光による希土類化合物の電子状態研究」
岡村英一、難波孝夫、松波雅治、森脇太郎、池本夕佳
放射光 (2011) 印刷中。
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