希土類化合物(重い電子物質)の電子状態と光スペクトル |
Ce(セリウム)やYb(イッテルビウム)など、4f軌道に電子を持つ「希土類元素」を含む多くの金属物質では、その物理的性質がこの4f電子によって大きな影響を受けます。4f軌道は原子の比較的内側に位置しており,室温程度の高温では4f電子は希土類原子に局在しています。しかし10
Kから1 Kという低温に冷却されると共に、4f電子は自由な伝導電子との波動関数の混成を通じて結晶中を動きだす場合があります。このような局在・非局在の二面性のため、電子の有効質量が通常金属の数10倍から1000倍に及ぶ「重い電子」が観測され、また電気抵抗や磁化率、比熱などの基礎物性に様々な異常を示します。さらに冷却すると磁気秩序したり超伝導になったりする物質も多く知られています。その基礎と我々の実験例を以下の順番で紹介していきます。(より詳しくは、固体物理誌に出版した解説記事「希土類化合物の電子状態を赤外分光で探る」を参照してください) |
(1)重い電子物質の基礎 |
(2)重い電子金属の例:YbAl3 |
(3)近藤半導体の例:YbB12 |
(4)多くのCe, Yb化合物の赤外スペクトルでの系統的性質 |
(5)高圧の下で半導体から重い電子金属へ転移するYbS
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(1) 重い電子物質の基礎 |
混成した状態での電子(準粒子)の動き易さは混成の度合いで決まり,その有効質量m*は電子の静止質量の10倍から1000倍に及ぶ大きな値であることが,様々な実験により観測されています。例えば固体の比熱Cは
C=γ T + A T3
と表されます。第1項、第2項はそれぞれ電子比熱、格子比熱です。(10 K以下では格子比熱は小さく電子比熱が支配的)γは電子の有効質量(およびフェルミ準位の状態密度)に比例するため、重い電子金属では大きな値になります。10
K以下の温度で金や銀などの単純金属ではγは1 mJ/K2mol程度ですが、重い電子物質では数10から1000 mJ/K2molにおよぶ大きな値が観測されます。電気抵抗、磁化率の振る舞いは次のYbAl3の例を見て下さい。 |
希土類元素が化合物を作る時、一般にはf軌道以外が閉殻になる3価(3+)の電子配置をとる傾向があります。Ce3+では4f軌道に電子が1個(f1)、Yb3+ではf電子が13個(f正孔が1個)という配置になります。しかし伝導電子とf電子の混成(c-f混成とよびます)が非常に強くなると、電子(正孔)がもう1個f軌道から出ていく確率が高くなるため、平均の価数が3価から大きくずれます。Ceでは4価に近づいて3.1+,
3.3+などの平均価数を取り、Ybでは2価に近づいて2.9, 2.7などの平均価数を取ります。このような物質は価数揺動物質ともよばれます。
より詳しくは、例えば以下の本を参照してください。
「重い電子とは何か」(岩波講座物理の世界 物質科学入門(5) 三宅和正著
「重い電子系の物理」(裳華房)上田和夫、大貫惇睦著 |
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(2) 重い電子金属の例:YbAl3 |
YbAl3は重い電子金属の中でもc-f混成がかなり強く、価数揺動物質の一つです。その電気抵抗、磁化率のデータを下に示します。(左はEbihara et al.Physica B 281&282 (2000) 754, 右はCornelius et al., Phys. Rev. Lett. 88 (2002) 117201より引用。) |
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上のグラフで電気抵抗では、f軌道が電子で詰まった(したがって局在磁気モーメントを持たない)LuAl3のデータも示されています。図中で赤い矢印で示されたρm=ρ(YbAl3)-ρ(LuAl3)が、f軌道に正孔がある事による磁気的な寄与です。ρmは120 Kぐらいを境にして急激に減少していますが、これは低温で重い電子状態が成長することに対応しています。すなわち重い電子バンドが形成されるため、Ybの磁気モーメントによる電子の散乱が抑制され、電気抵抗が減少します。一方磁化率でも、やはり120
K付近を境にして振るまいが異なっています。すわなち120 Kより高温では磁化率がTに反比例する局在磁性的な振る舞い(キュリーワイス則)に近いのに対して、120
Kより下では磁化率が温度によらない自由電子の磁性(パウリ常磁性)に近い振る舞いを見せています。以上より、120 K当たりを境にして
<高温側:Ybの局在磁気モーメントが自由電子を散乱している状態>
↓
<低温側:重い電子バンドが形成されていき、自由電子の散乱が抑制されYbの局在モーメントも消失していく>
というクロスオーバー(移り変わり)が起きていることがわかります。ほとんどのCe, Yb化合物ではこのクロスオーバーは徐々に起きますが、単体CeやYbInCu4という物質では、1次相転移として(不連続に突然)起きます。
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ではこのようなYbAl3の光スペクトルはどうなるのでしょうか。まず下の図に私たちが測った反射率スペクトルR(ω)を示します。試料は純良単結晶を静岡大学の海老原孝雄先生より提供していただきました。 |
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まず左の図が光子エネルギーが8 meV(遠赤外領域)から30 eV(真空紫外領域)に渡る領域の、室温での反射率スペクトルです。金属であることを反映して1 eV以下では反射率が1に近く、1 eV以上では徐々に減少していきます。(対数スケールに注意)YbAl3とLuAl3を比較すると、YbAl3では0.2 eV付近にくぼみがありますが、これはf軌道に不対電子を持つために生じると考えられます。右図が1 eV以下の領域の温度変化です。YbAl3だけにある「くぼみ」が非常に強い温度変化を示します。次にR(w)をクラマース・クローニッヒ解析して求めた光学伝導度スペクトルσ(ω)を下に示します。
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光学伝導度σ(ω)では、まず0.25 eV付近に大きなピークが見えます。(このピークは反射率の「くぼみ」に対応)これは中赤外(mid-IR)領域の強い光吸収を表し、フェルミ準位付近に大きな状態密度を持つ電子準位があることを示しています。この赤外吸収ピークの低エネルギー側では、スペクトルが非常に大きな温度変化を示します。この部分は低エネルギー側へ強度が増加しており、自由キャリヤによる応答(ドルーデ成分)と考えられます。8
Kではこのドルーデ応答は非常に鋭く立ち上がり、デルタ関数ような形になりますが、これは通常の金属にはない異常な性質です。またドルーデ応答の高エネルギー側ではσ(ω)が弱く、(鋭いドルーデ成分を除けば)、金属でありながら半導体みたいなギャップ構造が観測されています。これも重い電子物質の特徴です。このようにσ(ω)の測定からフェルミ準位付近の電子構造に関して、多くの知見が得られます。
より詳しくは以下の論文を参照してください。
"Pseudogap formation and heavy-carrier dynamics in
intermediate-valence YbAl3
H. Okamura, T. Michizawa, T. Nanba, T. Ebihara
J. Phys. Soc. Jpn.
73, 2045 (2004).
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(3) 近藤半導体の例:YbB12 |
Ce, Yb化合物には低温で金属ではなく半導体になるものもあり、これらは近藤半導体とよばれています。ここでは非常に良く知られた近藤半導体であるYbB12の光学スペクトルを紹介します。YbB12の電気抵抗は液体窒素温度以下の低温では指数関数的に急激に上昇し、約12 meVのエネルギーギャップをもつ半導体(絶縁体)です。[F. Iga
et al., J. Magn. Magn. Mater. 188-181, 337 (1998).] この物質のR(w)をまず下図に示します。(試料は広島大学の伊賀文俊先生、高畠敏郎先生に提供していただいた純良単結晶です。また光学測定は分子科学研究所の木村真一先生との共同研究です。) |
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上図は室温での広い光子エネルギーに渡るYbB12と、f軌道が電子で埋まったLuを含む金属であるLuB12の反射率スペクトルR(w)です。YbB12は半導体であるにも関わらず、1 eVより低エネルギーではかなり高く0.8以上あります。これはバンド半導体であるSi, Ge, GaAsなどのR(w)と大きく異なります。しかし一方で、金属であるLuB12にはない「くぼみ」が0.01~1
eVに渡って存在しています。次に低エネルギー領域の詳しい温度変化を下の図に示します。
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温度降下と共に、YbB12では上で述べたR(ω)のくぼみがさらに成長(左図)すると共に、80 K以下ではさらに40 meV以下の反射率が急激に減少します(右図)。すなわち、YbB12の電子構造は非常に大きな温度変化を示すことがわかります。次にR(ω)のクラマース・クローニッヒ変換から求めた光学伝導度s(w)を下に示します。
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このσ(ω)より、低温でYbAl3と同様の赤外吸収ピークが0.25 eV付近に生じる(左図)と共に、40 meV以下の光学伝導度が大幅に減少し、エネルギーギャップが成長する(右図)ことがわかります。8
Kでのσ(ω)の立ち上がり(右図の赤い矢印)より、エネルギーギャップの大きさは15 meVと見積もられ、これは電気抵抗などから求められた値とほぼ一致します。一方このようなエネルギーギャップの詳しい温度変化は電気抵抗からは判らず、この実験で初めてその詳細が明らかになりました。一方左図で室温より高温領域をみると、昇温と共に赤外吸収が不明瞭になり、通常の金属に似たスペクトルへと変化します。
より詳しくは以下の論文を参照してください。
Indirect and direct energy gaps in Kondo semiconductor
YbB12
H. Okamura, T. Michizawa, T. Nanba, S. Kimura, F. Iga, T. Takabatake,
J. Phys. Soc. Jpn.
74, 1954 (2005)
Optical Conductivity of the Kondo insulator YbB12: Gap
formation and low-energy excitations,
H. Okamura, S. Kimura, H. Shinozaki, T. Nanba, F. Iga,
N. Shimizu and T. Takabatake:
Phys. Rev. B
58, R7496 (1998).
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(4) 多くのCe, Yb化合物の赤外スペクトルで見いだされた普遍的性質 |
様々なCe, Yb化合物についてσ(ω)を測定した結果を下図に示します。 |
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YbAl3, YbB12で説明した「赤外吸収ピーク」ですが、赤い矢印で示すように、他の多くのCe, Yb化合物でも観測されます。しかし異なる物質では赤外吸収ピークのエネルギーも異なっています。そこでこれら物質におけるf電子と伝導電子の混成エネルギーに対してピークエネルギーをプロットしたのが下の図です。
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上図で横軸の量(a/γγ0)1/2はf電子と伝導電子の混成エネルギーに比例します。[γはこれら物質の電子比熱係数、そしてγ0は非磁性参照物質であるLa、Lu化合物の電子比熱係数] この図より赤外吸収ピークのエネルギーは、様々な異なる化学組成や結晶構造にも関わらず、多くの物質についてある比例関係を満たしています。重い電子物質の基底状態に関して、従来より「門脇・ウッズ則」とよばれる、多くの物質について成立する普遍的関係が知られていました。私たちの結果は励起スペクトルであるσ(ω)についても、やはり不変則が成り立つことを示しています。 |
より詳しくは以下の論文を参照してください。
Universal scaling in the dynamical conductivity of heavy fermion Ce
and Yb compounds
H. Okamura, T. Watanabe, M. Matsunami, N. Tsujii, T. Ebihara, H.
Sugawara, H. Sato, Y. Onuki, Y. Isikakwa, T. Takabatake, T. Nanba
J. Phys. Soc. Jpn.
76, 023703 (2007).
希土類化合物の光学スペクトルに現れる普遍的スケーリング
岡村英一
日本物理学会誌63, 34 (2008). |
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(5) 高圧の下で半導体から重い電子金属へ転移するYbS |
高圧力において赤外分光を用いて電子状態を研究することの意義や実験技術については既に「研究の概要」「研究トピックス」でも述べました。ここではその一例として、YbSに関する結果を紹介します。
YbSは常圧においては1.2 eVのエネルギーギャップを持つイオン結晶かつ絶縁体です。Ybは2価でf軌道は電子で満たされていて局在磁気モーメントを持ちません。過去の研究より10 GPa以上の圧力ではYbの価数が2より増加してf軌道に正孔が生じることが示されましたが、その基底状態は金属なのか絶縁体なのかすらわかっていませんでした。そこで私たちは高圧赤外分光によりその電子構造を調べました。良質単結晶試料は東北大学の落合明先生より提供していただきました。 |
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上図はYbSの反射スペクトルR(w)の圧力変化です。0.3から7.8 GPaにかけては反射率は低く、0.03 eV付近に光学フォノンに起因するピークが1本あるだけですが、8.3
GPaより高圧では0.2 eV以下の反射率が急激に増加して劇的な変化を示しています。高い反射率はプラズマ反射であり、自由なキャリヤが生じた、つまりYbSの高圧相は金属であることを明快に示しています。より詳しい電子構造を知るため、R(ω)の解析から求めた光学伝導度σ(ω)を下に示します。
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常圧(真空)での1.4 eV付近のピークはエネルギーギャップ越しの光吸収に対応しますが、圧力増加と共にこのピークが低エネルギー側へシフトし、ギャップが圧力と共に減少することがよくわかります。そして8
GPa付近でこのピークは消滅してギャップが閉じ、より高圧では自由なキャリヤをもつ金属になるため低エネルギー側にドルーデ成分が生じます。それと共に0.2
eV付近と0.8 eV付近に顕著なピークが成長しています。低エネルギー側のピークは上の(4)で紹介した、他のYb化合物で観測された赤外吸収ピークによく似ており、YbSの高圧相は(4)で取り上げた他の価数揺動Yb化合物とよく似た電子状態を持っていることを強く示唆しています。
より詳しくは以下の論文を参照してください。
Pressure Tuning of an Ionic Insulator into a Heavy Electron Metal: An Infrared
Study of YbS
M. Matsunami, H. Okamura, A. Ochiai, and T. Nanba
Phys. Rev. Lett. 103 (2009) 237202.
「高圧下の赤外分光による希土類化合物の電子状態研究」
岡村英一、難波孝夫、松波雅治、森脇太郎、池本夕佳
放射光 (2011) 印刷中。
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